家田会のこと

 家田会がめでたく第15回大会を迎えた。
 わが師・家田先生は15年を振り返って、発足当時のことを話される。

 先生の親交のあった八馬理さんの肝煎りで「家田会」が創設された。
八馬さんが当時、棋院の総帥・橋本宇太郎と橋本昌二の両巨匠に働きかけて、
本大会の最優秀者にカップ・「橋本賞(両橋本)」が贈られた。
もちろん八馬さん寄贈になるものである。

 過去15回の家田会は常に100人を大きく越す参加者で賑わい、
本15回大会も131人(内訳・男性101名、女性30名)の紳士淑女が集い来た。

 私も記念すべき2000年大会には無敗の最優秀者として「橋本賞」に輝き、
以降7段から7.5段にランクアップとなった。
また続いて 2001年には長・宮垣・三村(3人1組)のチームが団体優勝している。

先日の 2004年大会には名倉淳子(奈良)が4線全勝で最優秀賞、
井上泰子(京都)が優秀賞の栄冠を勝ち得た。


華麗なる一局

                 高野圭介自戦記

湯川恭子 vs 高野圭介

 先番 黒3目コミ出し
 2004年5月3日 於関西棋院
     206手完 白中押し勝ち

 大会2回戦に湯川恭子さんと対戦した。
 この碁、140手前後から、急に読み筋が雑になっている。
 これを根気がないと言えば、それまでだが、空中遊泳をしていた?
終いに、●189に至っては何おかいわんや!大ポカ・サーマンダァ・・だ。
 全く、おしまいの「ン」である。
 
 しかも・・・自分では上手く打っていた・・途中までは快勝譜と、思っていた。
 ところがである・・・チガウ・・・家田先生の評は手厳しい。

  以下、「愛の鞭」数手だけ、後学のために・・・

 ●39ノゾキは悪手・打たずもがな
 ●55〜59までは打たないで、151辺りへ
 ●65もダメ。単に73にノビがよい。
 ●69も味消しだが、65以下変なのを引きずっている
 ●93もあやしい。左辺の黒の一団をしっかり打ってからのこと。

打つときは、良いと思って打ったのだろうなぁ
あの手も、この手も



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